人に優しくしたいのにできない
今日は梅雨の切れ目、何日かぶりの青空が広がりました。
今日の新宿御苑で一番に目に飛び込んできたのは、ヒルガオのお花。
束の間の太陽の光を、ここぞとばかりに一身に浴びて花を開かせていました。
お花の中を歩くアリさんも甘い蜜をかき集めようと懸命に働いています。
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人には優しく接したい、人には親切にしたい。
割と多くの人はそう思っているのではないでしょうか?
特に、カウンセリングや心理療法を必要とするような方は概してこのような「良い人」「優しい人」が多いように思います。
いつも周りの人が何を望んでいるのか気を配って、気を利かせて先回りしてやってあげたり、人が嫌がる仕事を進んで引き受けたり。
でも、そういう優しい人には人からの依頼が押し寄せてしまうことがあります。
「あの人に頼めばやってくれるから」、と依頼が増えます。
「あの人なら嫌な顔せずにやってくれるから・・・。」
そんな良い人を続けていると、気づいてみれば頼まれごとで一杯一杯になってしまって、ついイライラしてしまったり、心の中では「なんで私ばっかり!」と不満な思いを募らせていたりするものです。
だんだん依頼されること自体を重荷に感じるようになってきます。
人に何か頼まれることに恐怖を感じるようになるかもしれません。
人に頼まれごとをしたときに負担に感じるようであれば、ただ単純に「出来ません」と言ってみてはどうでしょうか?
言えませんか?
言えないとしたら、「出来ません」と言ったとしたらどんなことが起こると思いますか?
「あの人、優しそうに見えるけど優しくなかった」と思われる?
「あの人、意外と冷たい人なんだ」と思われる?
「優しくない人」、「冷たい人」等と思われるとどうなりますか?
嫌われる?
人との関係性が壊れる?
その場、コミュニティーにいられなくなる?
自分の行動の動機がいつの間にか他人からの評価に対する恐怖心になってしまっているかもしれませんね。
「人助けをすることは良い事である」という考えを握りしめている人は、なかなか他人からの依頼を断ることが出来ません。
「良い」と「悪い」という価値判断を手放してみませんか?
人に優しくできなくてもいいのです。
人は教育によって何が「正しい」かを学びます。
生まれた時には真っ新な心を持った赤ちゃんは、最初はお母さんから、そしてお父さんや他の家族から「して良いこと」と「してはいけないこと」を学びます。
少し大きくなると、幼稚園で、学校で、次々とこの社会のルール、価値観を学びます。
「して良いこと」をすると褒められ、「してはいけないこと」をすると叱られます。
何が良くて何がいけないのかを判断するために、人の意識が「外に」向かい始めます。
褒められると嬉しいので、こうして良い子になった人は、さらなる賞賛を求め続けます。
段々、周りの世界に過剰に適応するようになってしまいます。
上手く適応できて、自分の気持ちが良いうちはそれでよいのですが、どうも苦しくなってしまった時には、意識を自分の「内側」に向けてみましょう。
外側に順応するために意識を常に外に向けていると、自分の内側を感じる時間がありません。
自分の内側からのニーズ、欲求。
内側からは「疲れた」、「やりたくない」、「早く帰りたい」などという声が小さな小さな声で聞こえるかもしれません。
多くの場合、最初の頃は内側の声はネガティブな響きを持つかもしれません。
でも、それらの声は外側からの判断を経ない、生の、リアルな声です。
その内側からの小さな声に耳を傾けることを続けていくと、そのうち本当に自分の中から何かをやりたい気持ちが出てきます。
本当の自分の核から出てきた「ただしたいからしている」という、内発的な動機によって行動している時、人は疲れを感じません。
人から褒められなくても、外側からの評価とは無関係に、自分の心は満ち足りています。
あなたらしく生きるために、ぜひ自分の心の内側と向き合ってみて下さい。
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